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ハワイと日本の歴史的関係~ハワイ王国・アメリカ編入・太平洋戦争etc

私はハワイを何回も訪ねておりますが、やはり昔から日本人とは歴史的にも関係や馴染みが深く、今でも日本人も多く住んでいるからか、英語がさほど話せない私達にとっても言葉の壁はなく、毎回、安心して楽しい旅ができています。

ハワイと言えば、ワイキキの海辺からからの景観で知られるダイヤモンド・ヘッドがあります。ダイヤモンド・ヘッドへの登山では、トロリーバスで登山口まで行き、それから徒歩で山頂にまで登りました。山頂からの展望は絶景色でワイキキビーチやホノルルの街はもちろんのこと、オアフ島の反対側までも一望の下に見られました。 

また、カメカメハ王宮殿であるイオラニ宮殿を見学しました。この宮殿は広い米国国内でもで唯一の王族の公邸が住まわれた宮殿です。宮殿は19世紀末に当時のハワイの王朝だった7代目の王・カラカウアによって建設されたといわれます。カメハメハ大王がハワイ群島を統一してからおよそ100年間続いたハワイ王朝最後の舞台となったのがイオラニ宮殿です。

実は、ハワイの歴史というのは、カメハメハ1世から始まるのは御存じだと思いますが、NHK・みんなのうたに採用された童謡・「南の島のハメハメハ大王」の題材となるなど有名ですが、この歌は、カメハメハをモチーフにしたものだともいわれています。

本日は日本とハワイの関係についてご紹介します。

1.初めてハワイに上陸した日本人

ハワイと日本の関係は、次郎吉という日本人が難破し、アメリカの捕鯨船に助けられたことに始まります。似たような境遇の日本人として、ジョン万次郎がいますが、次郎吉は彼よりも2年早い1839年にハワイの地を踏んだのです。従って、はじめてアメリカを見た日本人は彼ということになります。

次郎吉は約1年間ハワイに滞在しました。かの地のボールドウィン牧師は次郎吉に近づき、彼から日本についての情報を引き出していきます。牧師はその内容をハワイの新聞に寄稿しており、この新聞は現存しています。金の価値が世界の三分の一であるなどといった興味深い情報が記されているようです。

次郎吉は、シベリア、アラスカ経由で鎖国下の日本に戻ってきます。その後5年くらい幕府に監禁され、その間、旗本らに、海外事情を尋ねられたりしたようです。その内容をまとめた「番談」は海外事情について知られるきっかけとなりました。

2.カラカウア国王と日本の歴史的関係

江戸時代にも、ハワイ王国と江戸幕府の間には関係がありました。1867年に日布親善協定を締結します。その翌年の1868年には、早くも移民第一号である153名がハワイに渡りました。ハワイ王国はこの後も積極的に移民を受け入れましたので現在も日系人は多いのです。

ハワイ王国の国王カラカウアは1881年、世界一周旅行を行いますが、最初の訪問国に選んだのは日本でした。来日したカラカウア国王はこの時、ハワイ王国の安泰を図るため、姪子のカイウラニ王女と日本の宮様である山階宮(やましなのみや)との縁談を日本政府に持ち出したのでした。

しかし、アメリカは当時ハワイの攻略を狙っていた時期でもあり、日本政府はアメリカとの対立を避けるために、この縁談を丁重に断っています。もし、この縁談が実っていたら、ハワイ王朝はもっと長く存続していたであろとも言われています。

また、カラカウア国王はハワイと日本の合併も提案しています。しかし、明治政府は受け入れませんでした。この時に、「タラレバ」になりますが、明治政府がこの提案を受け入れたならば、ハワイは日本の最友好国か、もしくは、沖縄県と同じように日本の一県になっていたかも知れません。

3.アメリカ編入とハワイ州成立

1893年のアメリカ本土の制圧で革命が起こり、米国の属国と成ってで共和制を引きアメリカ合衆国に併合され、ハワイ王朝は消滅しました。そのきっかけは、アメリカの白人がサトウキビ畑栽培のために入植したことでした。1887年には遂に白人によるクーデターが勃発し、ハワイ王国の滅亡は始まることとなりました。時のアメリカ大統領がハワイの米国領への編入を宣言、この日、イオラニ宮殿に掲げられていたハワイ王国国旗が降ろされ、星条旗が揚げられました。

古来からの原住民であるハワイ住民らは、この時には悲しみの声をあげたといいます。ハワイの歌として誰でも知っている「アロハ・オエ」という歌があります。この歌は、ハワイ王朝の最後の王であったリリウオカラニ女王が作詞・作曲したものであるとされています。ハワイ王朝の最後の王妃であるリリウオカラニ女王が、愛する祖国を失う悲しみや無念に思う気持ち、それに、ハワイの人々を思いやる愛する気持ち、感謝の気持ちを歌にしたもので、その思いが自然と伝わってきます。ちなみに、アロハとは愛する気持ち、オエとはあなた、という意味になるそうです。

ハワイは米国の準州となり、1959年、50番目の州としてハワイ州が成立したのでした。

4.太平洋戦争・真珠湾攻撃

日本はハワイを合併することはできませんでしたが、帝国主義的な行動を続け、このことがアメリカとの対立につながってゆきます。遂に、日本時間1941年12月8日未明(ハワイ時間12月7日)に日本は真珠湾攻撃を行います。ハワイオアフ島に真珠湾はあります。日曜日の朝を狙った奇襲攻撃でした。

伝統的に日本海軍は対米戦として漸減邀撃作戦を基本戦略としており、日本近海における艦隊決戦を想定していました。日露戦争をもう一度というわけです。これに従っていれば、ハワイへの奇襲攻撃が行われることはなかったでしょう。しかし、連合艦隊司令長官山本五十六大将が考えていることは違いました。山本はアメリカ留学経験もあり、航空にも詳しかったので、開戦当初に航空戦で一挙に決着を付けなければならないと考えていました。真珠湾攻撃の立案はこの山本なしには、考えられなかったものでした。

5.敗戦後のハワイと日本の関係

日本はアメリカと戦争をし、敗戦しましたが、その後日本とハワイとの関係は回復していきます。1990年代には小錦、曙といったハワイ出身力士が登場し、日本の角界を沸かせます。小錦は十分な実績を上げながら横綱になれませんでしたが、このことは外国人差別として非難されました。日本相撲協会は考えを改めざるを得ませんでした。こうして曙は横綱に昇進しています。外国人横綱は現在モンゴル人が占めるようになっていますが、ハワイ出身の彼らの挑戦を忘れてはならないでしょう。

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